タイミングについて考えてみた。

はたくみです

日々の生活の中で、タイミングを感じるこ場面は多い。
それは仕事での報告のやりとりや、車や電車での移動。
人と待ち合わせしたり、見たいテレビが始まったり。
上げるときりがないくらい、タイミングを感じることは日常にあります。

タイミングがあう時もあれば、あわない時もある。
タイミングがあった時に気持ちがいいと感じる。
いやなことにタイミングがあって、もやもやすることもある。
あわなくてガッカリすることもあれば、あわなかったから救われることもある。

こう観ていくと、タイミングがあうあわないと、心地良さ悪さは別物だなぁ、と。
自分の都合で善し悪しを決めているのが、ちょっと面白く感じたりもします。

つまり…ベストタイミングは人の数だけあるということ。
タイミングを活かす事ができるかは、自分の意味付け次第…。

カボチャ☆
↑タイミングあわなさすぎではお手上げ…

でも…
ちょっと嫌な事があったら『タイミングが悪かったんだ』
ちょっとうれしいことがあったら『タイミングがよかったんだ』

って、本当にタイミングだけでしょうか?
嫌な原因もうれしい原因も、起こった出来事や、それをどう捉え感じたかを考察する方が確実なのでは?と考えたりするのです。

何でもかんでも『タイミング』という一言で片付けてしまうものはいかがなものか?
その使い方は、意味なくひとまとめにして結論づける、単なる甘やかしではないか?

タイミングという言葉を、話を片付ける便利な道具にしていないだろうか?
必要なのは個々のタイミングを捉える力だと感じるのです。

出来事のすべてが必然だったら…
自分の捉える力次第で、思いのままになるのだから…

「タイミングについて考えてみた。」の視点

●ベストタイミングは人の数だけある。 
●なんとなくひとまとめにして結論づけてないだろうか? 
● タイミングを捉える力


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